kano-desuga

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京都清水寺では、1年の世相を表す「今年の漢字」に「命」が選ばれたそうな。

皇室のおめでたい話。イジメで自殺した子供の命。
多くの人が命について考えさせられた一年だったのだと思ふ。。
昔、命とは尊いモノだと偉い人が言ってた。

そこで自分も命について考える。
今年もたくさんの畜生の肉を食らったかとか
魚をたくさん食らったとか
同じく生きてた植物(米・野菜)を胃にほうりこんだ。
自分の生を維持するためだけに膨大な命を消費している。

また直接、己の生存に全く関係なくとも
最低20匹以上のゴキブリ、50匹以上の蚊、たくさんの家ダニを殺してる。

命が尊いものならば、これらの命を奪ってまで自分が生存する価値があるのか?
それとも命が尊いなどは人間やペットなどの命に限る詭弁であり、
食われる為に育てられた米・肉牛などの命は意味がないのか。
自分が牛や野菜であるならば、食われる為に生きてるから尊いと言われてもフザケルナの話である。
また、必死に生きてるゴキブリや微生物、雑草の命は?

何事も意味を求めだすと考えた人の数だけ答えが出て
その中で多くの支持を得た考えが正しいとされる。
命が尊いもその一つ。

命について適切な答えが出るほど自分は賢くない。
あらゆる生の母体である自然は無情であり意味づけもしない。

考えるのをやめた。。

Comments

Ako
そうでしたか、“命”が選ばれたんですね。
情報にも疎くなっていました。
私は最近葬儀続きで、感覚が麻痺してきて、
心の中の涙が乾いてしまった感じがします。
2006/12/17 01:53 PM
狩野
年末に大変でしたね。
お疲れ様です。

自分も葬儀が続くと空虚な気分になります。
2006/12/18 11:44 PM

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